第10章 テクノロジーは中立ではない
rashita.iconこの章には何が書かれているか?
テクノロジーは中立ではない
テクノロジーはアフォーダンスを持つ
ある行為をしやすくすると同時に、別の行為をしにくくする
テクノロジーは制約・前提条件・副作用を持つ
それを使う人に要求を課したり、変化を強要したりする
テクノロジーが影響を与えるさまざまな活動に対する考え方(テクノロジー固有の思考様式)を押し付ける
関わった人が知らない間に、それも望んでいなくても浸透してしまう
結果的に社会により広く広まったテクノロジーほど、社会に大きな影響を与える
rashita.iconよく道具は使う人次第である(≒中立)という言説があるが、著者はこれを否定している
メディアはメッセージか?
メディア=>われわれが世界の出来事と関わり合うやり方が重要である
著者はその意見に否定的
メッセージはメッセージから理解され、メディアは伝達手段にすぎない
しかし、やはり伝達手段は内容の理解に影響を与えている
著者によれば、マクルーハンが言っているのはメディアそのものというよりは、メディアが持つアフォーダンスについて
印刷物とテレビの比較
印刷物のメリット
ペースをコントロールできる
読むことは、内省をアフォードする
印刷物のデメリット
時間がかかる
習得が難しい
練習と実践が必要
習得者であっても、実践時には心的努力が必要
内省を促すにしても孤立したそれになりがちで、対人的な内省(議論)をアフォードすることはない
rashita.iconここはよく考えたいところ。
特にこうして読書メモを共有しあう場だからこそじっくり検討したい
まず、一つのテーマについて複数の本を読むことで、ある種の「議論」に参加することができる
一つ一つは閉じていても、全体としての開きがある
また、本を読むことそのものは個人的な営みとして、それを「持ち寄る」ことはいつでも可能である
たしかに本を読むという行為は、個人的な営みとしてアフォードされがち。
それが良いところでもある。
しかし、本を読むからといって個人的な営みで終わらせなければならないという義務はない
別のアフォードと組み合わせることで、内省の形を変容していくことは可能だろう。
テレビのメリット・デメリット
視聴するのに練習や訓練は不要
心的努力も不要
絶え間なく感情を刺激する
内省する暇はない
ジェリー・マンダーによるテレビ批判
テレビを体験することの本質は、身も心もその流れに身を任せること
知識はそのままの状態で取り込まれて、蓄積されるだけ
見直し、吟味、評価される時間はない
テレビは攻撃的なもので、見る人の心に残り続ける
よって、外部環境でありながら、内的・心的な環境になっている
rashita.iconインターネットとの比較がまずできるだろう。
次いで、そもそもあらゆるメディアが「外部環境でありながら、内的・心的な環境になっている」可能性についても検討できる
心の能力を拡大する方法
助けとなるものを外から与える
メモをとる→外部メディアに考えていることを表現しておく
作業記憶の限界から解放される
結果、より踏み込んだ知的作業が可能になる
内省できるシステムにするための要件
知識の内部表現と、その表現を調べ、変更し、比較する能力をもつこと
「構成可能な」表現メディアをもつ、と言い換えられる 新しい表現を追加したり、古いものを変更したり、操作したりして、その結果の比較を可能にする(アフォードする)
rashita.icon「構成可能な」は英語で何と表現されているだろうか?
configurable ?
TsutomuZ.icon The human mind is a compositional medium. でした。(原著より)
rashita.iconありがとうございます。
人の心は構成可能なメディアと言える
紙と鉛筆の組み合わせも構成可能なメディアで内省を増強してくれる
テレビは構成をアフォードしないし、内省もアフォードしない
印刷物もそれだけではアフォードしないが、ペンや鉛筆があれば可能になる
rashita.icon映像がパソコンなどにキャプチャーできるようになり、構成可能性を持った現代では何が変わり、何が変わっていないと言えるのか
構成可能性なメディアさえあればいいというわけでもない
複数のアイデアを練り上げ比較対照するための時間と能力が必要
つまり、内省のためのメディアはそのための時間もアフォードしなければならない
テレビ視聴と読書との違いがここにある
読書は、自分のペースでできることと構成能力が相まって、内省をアフォードする
rashita.icon時間の使い方もアフォードすることが重要という点。これは確認しておきたい。
テレビはイベント駆動型のメディア
体験的認知に適合している
イベント駆動型のスペースが内省に必要な時間をアフォードしない
内省自体は可能なのだが、ペースコントロール、見るべきところのコントロールが必要となる
シェイクスピア・プロジェクト
理解を深めるためには、提示された解釈とは別の解釈を探求することが必要
立ち止まって考え、疑問を持ったり、深く探究したりする時間が必要
1つの戯曲について、複数の解釈の演技が見れたとしたら、そのときテレビは内省をアフォードするテクノロジーになる
人の心は内的で構成可能なメディアなので、どんなテクノロジーも内省的なものに変えられる
とは言え、もともとテクノロジーが持っている方向性は無視できない
テクノロジーの適切な使い方
テクノロジーはわれわれを賢くしてくれるが、欠点もある。
たとえば、テレビは体験のための優れたテクノロジーであり、日常の心配事から心を解放させてくれるが、それが罪悪感を生むこともある。
テクノロジーは中立ではない
何かを促進し、別の何かを妨げることで、社会の行先を左右する
肉体や精神に副作用もある
どの道に進んでいくのかを決めるのもまた私たち
rashita.iconそうした決定を助けるためのテクノロジーがまさに今必要とされているだろう。
人間に合うテクノロジーの例
電卓
精密な計算は機械が得意
そして、出しゃばらず、要求もしない
どう使うか、使うペースは人間が決める
本(書かれたものすべて)
ユーザーの真のニーズに合わせて進化してきた道具
個々の職人が何年もかけて形作ってきた道具
これらは人間がコントロールできるようになっている
適切な道具というのは、人間のニーズに基づいてデザインされる
つまり、その道具を使う人と一緒になって、その仕事に最も効果のある形にデザインされている
認知的なアーティファクトはデザインが難しい
内部表現を持っているのでデザインの問題が複雑になる
手で使う道具には伝統的なデザインがある
園芸やスポーツなど
認知のアーティファクトにはそれがない
似たものとしては、業務のやり方に合わせた専用ノートやビジネス手帳くらい
テクノロジーを人間に合わせる
機械中心のテクノロジーの見方ではなく人間中心の見方を取り戻す
ニール・ポストマン『死に至る快楽』
テクノロジーの社会への影響に関する二つの見方
『1984』
ビッグブラザーのような外部から課された抑圧
禁書的
『すばらしき新世界』
人が抑圧を好むようになる
誰も本を読まなくなる
思考のやり方も人工的な機械中心のものへと変えてきた
結果、人間の価値を犠牲にしてきた
新しい標語
「人間が提案し、科学が探究し、技術がそれに従う」
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